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盛岡家庭裁判所一関支部 平成2年(家)41号 審判 1992年10月06日

平2(家)41号事件及び同年(家)192号事件申立人

三田ユウコ

平2(家)41号事件及び同年(家)192号事件相手方

前川のぶ子 外7名

主文

1  申立人三田ユウコの寄与分を632万1840円と定める。

2  被相続人三田修司の遺産を次のとおり分割する。

(1)  別紙遺産目録記載の各不動産は申立人の単独取得とする。

(2)  申立人は、相手方三田盛夫及び相手方三田まち子に対し、(1)の遺産取得の代償としてそれぞれ金363万0451円を本審判確定の日から6か月以内に支払え。

(3)  本件手続費用のうち、鑑定人○○○○に支給した金20万9914円はこれを3分し、その2を申立人の負担とし、その1を相手方三田盛夫及び三田まち子の連帯負担とし、その余の費用は各自の負担とする。

理由

当裁判所は、一件記録に基づき次のとおり認定判断する。

1  相続の開始と相続人及び法定相続分

被相続人は、昭和63年6月28日死亡し相続が開始した。相続人は、被相続人の養女である申立人、長男である三田良雄(昭和7年12月25日生、昭和52年7月18日死亡)の嫡出子たる相手方前川のぶ子、同三田葉子、同三田治、次男である相手方三田広助、三男である相手方三田洋助、次女である相手方大竹シズコ、四男である相手方三田盛夫、三田盛夫の妻で被相続人の養女である三田まち子であり、その法定相続分は、申立人、相手方三田広助、同三田洋助、同大竹シズコ、同三田盛夫及び同三田まち子がそれぞれ7分の1、相手方前川のぶ子、同三田葉子及び同三田治がそれぞれ21分の1である。

2  相続分の譲渡

相手方前川のぶ子、同三田葉子、同三田治、同三田広助、同三田洋助及び同大竹シズ子は、それぞれの相続分を申立人に譲渡した。

したがって、申立人の相続分は7分の5になった。

3  遺産の範囲

被相続人の遺産は、別紙遺産目録記載の不動産であるところ、右遺産の相続開始時及び鑑定時における各評価額は同目録の評価額欄記載のとおりである。

なお、被相続人の遺産として相続開始時に○○農業協同組合に対する貯金22万5230円及び郵便貯金2万円が存在したところ、前者については、相続開始後被相続人の債務の支払等に費消され現在は存在せず、後者については、当事者間に遺産分割の対象とする合意がないから、当然に分割され、各相続人にそれぞれの相続分に応じて帰属した。

4  寄与分

(1)  申立人は、昭和31年、被相続人の長男三田良雄(以下、良雄という。)と結婚して三田家に入ったが、当時、三田家には、被相続人、その妻三田きく、良雄の弟妹である次男広助、三男洋助、次女シズ子及び四男盛夫が生活していた。良雄は、そのころから東京方面に出稼ぎに行っており、農繁期と盆正月に帰宅する生活をしていたので、申立人は、被相続人夫婦と共に家事や農作業に従事していた。

(2)  良雄の弟妹らは昭和36年ころから昭和49年ころまでの間にそれぞれ独立していった。申立人及び被相続人夫婦の生活は、良雄の仕送りと農業収入でなんとか維持していくことができた。

(3)  昭和52年7月18日、良雄が出稼ぎ先で死亡し仕送りが途絶え、被相続人も高齢であったことからほとんど収入はなく、申立人は、同年8月から、家族の生計を支えるため工場で稼働すると共に被相続人に代わって田畑の管理及び耕作を行うようになったが、それらによって得られる年間の収入は、農業収入が60万円、工員としての収入が100万円程度であった。良雄が死亡してからは申立人及び被相続人の生活は相当苦しくなったが、申立人以外の他の相続人らからの仕送り、援助等はなかった。

(4)  昭和55年に被相続人の妻きくが死亡し、昭和60年には被相続人に物忘れ、失禁等の痴呆状態が発現するようになり、申立人は、一人で、家族の生活を支え、被相続人が死亡するまで療養看護に勤めた。その間も申立人以外の他の相続人からの援助等はほとんどなかった。

(5)  被相続人は、良雄が死亡してからも三田家を去らず、献身的に尽くした申立人に感謝し、痴呆状態が進行する以前の昭和57年3月8日に申立人と養子縁組を行い、別紙贈与目録記載の生前贈与を行ったが、それらの不動産の相続開始時における価格は、同目録評価額欄記載のとおりである。

(6)  右によれば、申立人は、良雄が死亡してからほとんど一人で家業の農業に従事する一方工員として稼働して得る収入で被相続人及び家族の生活を支え、被相続人の妻が死亡してからは、老人性痴呆状態の被相続人の療養看護に勤めたもので、申立人の右貢献がなければ被相続人の財産は維持できなかったと認められ、申立人に特別の寄与があったというべきである。しかるに、被相続人は、申立人の右貢献に対し心から感謝しそれに報いる気持ちで別紙贈与目録記載の生前贈与を行ったものと認めるのが相当であり、申立人が、被相続人から受けた右贈与は生計の資本ではないから特別受益には当たらないというべきである。

(7)  寄与分の評価

申立人は、昭和52年から家業の農業に従事していたが、昭和63年の人力による農作業標準賃金1日4800円、年間の作業日数を60日、生活費として40パーセントを控除すると、申立人の農業に従事したことによる寄与分は190万0800円となる。

4800円×60日×11年×0.6 = 190万0800円

申立人は、被相続人の妻死亡後は家事労働を行っていたところ、昭和63年の家政婦の基本賃金5100円、被相続人の妻が死亡した昭和55年12月9日から被相続人死亡日までの2759日、生活費として40パーセントを控除すると、申立人の家事労働についての寄与分は844万2540円となる。

5100円×2759日×0.6 = 844万2540円

申立人は、被相続人が昭和60年から老人性痴呆が進行し昼夜を問わず療養看護を要する状態となったため、日常の家事労働の他に被相続人の療養看護を行った。右寄与分は家政婦賃金の基本料金に超過料金及び深夜料金を加えた額とするのが相当であり、合計1170万4500円となる。

(5100+2550+1530)円×1275日 = 1170万4500円

申立人は、良雄が死亡してから工員として稼働し、その収入で被相続人を扶養していたところ、右寄与分は工員として得た収入の60パーセントとするのが相当であり、合計660万円となる。

100万円×11年×0.6 = 660万円

以上を合計すると申立人の寄与分の評価額は、合計2864万7840円となる。

(8)  ところで、寄与分の制度は、相続財産の増加ないしは維持に特別の貢献があった相続人と他の共同相続人との実質的公平を図る制度であるから、寄与相続人が、被相続人から生前贈与を受ける等して寄与相当分が報われている場合は、その限度で寄与分の請求はできないというべきであるところ、前記認定の寄与分の評価額から申立人が被相続人から贈与を受けた価額を差し引いた632万1840円が、申立人が本件において寄与分として請求できる額というべきである。

5  当事者の分割に対する希望

申立人は、別紙遺産目録記載の各不動産を取得し、その代償として相手方三田盛夫及び相手方三田まち子に対して相続分に相当する金銭を支払う方法による分割を希望し、右相手方らは、遺産の各不動産を相続分に応じて申立人と相手方らの共有とする方法による分割を希望している。

6  具体的相続分の算定

相続開始時の遺産の評価額は合計3173万5000円であり、右は分割時においても変わりがない。

みなし相続財産は、3173万5000円-632万1840円 = 2541万3160円である。

各人の具体的相続分は、

申立人:2541万3160円×5/7+632万1840円 = 2483万4097円

相手方三田盛夫及び相手方三田まち子それぞれ:

2541万3160円×1/7 = 363万0451円

となる。

7  当裁判所が定める分割の方法

本件記録に現れた一切の事情を総合すると、本件遺産の分割方法としては、申立人が不動産を単独取得し、その代償として、相手方三田盛夫及び相手方三田まち子に具体的相続分に応じた金員を支払わせることとし、右期間として、本審判確定後6か月の余裕を置くのが相当である。

8  本件手続費用のうち、鑑定費用はこれを3分し、その2を申立人の負担とし、その1を相手方三田盛夫及び相手方三田まち子の連帯負担とし、その余の手続費用は、各自の負担とする。

よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 荒井純哉)

別紙 遺産目録及び贈与目録<省略>

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